1 mawariについて 一時間以上の大作
全くよく知られていないようなことではあるが、僕がmawariを初めて知ったのは山陰中央新聞である(家のダンボール奥から発掘された新聞のスクラップ映像はコチラ)。夏に島根に帰っておらず、新聞を読んでおらず、暇さをものすごくもてあましていなければきっと一目も見ることも曲をきくこともなかったでしょう。その新聞を見てなぜか「これだ!」と思った現在助手兼掃除番(誰かみたいだが)をしている私は、東京に帰ってから探せばすぐ見つかるであろうにもかかわらず、文明のはて、日本のチベット、島根の吉田村である島根県でCDを買おうと思い始め行動に移った。まずたまたま帰っていた兄に付き合ってもらい、文明の最先端、科学技術の粋サンチェリヴァにサンラインに行ったがなく、次の日松江に向かい探したがなかった。仕方なくあきらめて、東京に向かって帰るために広島に、これまた兄に運んでもらったけれど、向かう途中デオデオによって探すもない。いい加減あきらめればいいようだがさらに広島の真ん中に向かいそごうで探す。するとついに発見。しかし新聞で見たのは幻か、CDの表に見える尊顔はどう見ても三十代の女性のそれにしかみえないものだった。隣にいる兄に「これ…、ちょっと違うかも」といったら「ここまだ探させといていらないとは言わせない」という兄の顔面神経を駆使した表情による意思を感じ取った私はふらふらとレジむかい、買った。
しかし買ってみて、中身の写真を見るとこれは思ったとおりのもので曲を聴かずにこの歌手のファンになった。肝心の歌は車の中で聞いてもほとんど曲の内容は聞き取っていなかった。その日は友達の家で過ごししばらく広島にいる予定だった。その友達の家で曲を聞くほどに今度こそ歌手として良いと思うようになっていった(今まで買ったもの、川本、シャ乱Q。{えっ、今まで買ったことあるのこれだけ?}はすべてこんな感じではあるが)。そして友達の家にてインターネットでmawariを調べた結果、どうやら明日ライブを(たしか)3時から東京の池袋のP'パルコでやると知った。今は夜の二時。「あと11時間しかないなー」とつぶやくぼく。「いくつもりかい!」とつっこまれた。まあその日初めて聞いた歌手のライブを、帰る予定を切り上げて聞きに行く、ってのはどうも今考えると変な感じがしないでもないけど。しかしまあそれからしばらくして寝ておきたのは六時。急いで広島駅で、乗って帰るつもりだった切符をお金に戻し、飛行場にリムジンバスで向かう。九時からたしか飛行機があったはず。「はず」で動くのもどうかと思うけど飛行場に到着。しかしめざす飛行機はあるにはあったが、盆明けともあってどうやら満席らしい。が、よく見たらほかにも東京行きの飛行機がありしかも空席があったのでそれに乗ることにする。運良く乗れた飛行機で東京に着くと1時。まあ間に合いそうだ。しかしほんと運がいいなとか思いつつP'パルコの場所を探し、難なく間に合い、昨日曲を始めて知ったばかりの歌手をついに見ることに。
…なるはずが、どうやらmawariは日射病だか夏バテやらでライブは中止。
ちゃんちゃん。
追加。一時間ばかりの待ち時間の間に売店で原田宗典(http://www.synapse.ne.jp/~pasta/daraha/参照)という以前から気になりつつも読んでいなかった作家の「十九、二十」という小説を買う。また羽田から池袋のリムジンバスにのっているとき、隣に乗った紳士に外国で食中毒にあった事を話される。
追追加 今でもよく分からないけど、ファーストシングル「幸せの青い風」を聞くと
続く…のか