mawari(竹仲絵里)ちゃん(照笑)について2 2002/11/15

そういうわけで当初予定されていた店頭ライブはお流れになったが、その日(2000/8)は徒歩で池袋から帰る途中の公園で、広島の飛行場で新しく見つけた作家、原田宗典の小説を読んで、自分の常日頃の不甲斐なさを小説の主人公に重ね合わせてちょっくら感慨にふけっていたりした。
そして次のミニライブに懲りることなく行く予定を立てる。友人も道連れ。場所は日比谷公園の野外音楽堂、と思ってでかけた。行く前には有楽町でラーメンを食べる約束をしていたが、どっちもおなかがすいてなくって食べることなく、本多静六(人生と財産の作者だったりする人。詳しくはこちら)の設計した日本初の西洋式公園日比谷公園を散歩した。その途中でこの公園には大きな野外音楽堂と小さいそれがあることを知った。散歩中には大きな音楽堂が先にみつけここかいな?と話していたが、余りの運ばこまれつつあるものの物々しさに違うと思い、鳩にパンをちぎってえさをやるのを見つつ、小音楽堂を探し、そしてついた。どうも早すぎだったようで誰も並んでいないように見受けられた。近くにある売店でパンを買ったりしていると、音楽がそこはかとなく聞こえてきたため、小音楽堂の中が見えるとこに登って見ると、ギターを鳴らしながら歌うmawariさんの姿が!ふう。よく会場を見るとなぜか黄色いTシャツを着た、スタッフとも思われない女性が座って聞いていた。この人は後からmawariちゅあ〜んの高校の時の友人(おそらく最初のアルバムの中の曲の「約束」に歌われている友人)と分かるがその時は知る由もなくなぜだ?とか思っていた。リハーサルでは新曲の秋茜を歌ったりしていた。んで、またそこいらをほっつき歩いていると、始まる直前になって、入り口は自分達が表だと思っているところの逆にあるのを知り、最も興味のなさそうな客みたいに、もっとも最後あたりで入場した。会場の椅子はコンクリートチックで、会場の中に木が生えてたりして、天井はその木の葉っぱの緑色で埋め尽くされているようであった。言いすぎ。
汗が出るような真夏だったが、ライブが始まり、mawariさまの声が流れると、一陣の涼風が心の中を通り過ぎていくような、そんな心地よさを感じた。僕は音楽その他で感動すると鳥肌が立つのだが、その時はかなり鳥肌が立った。声がとにかく透き通っていて、そして明るい。しかし友人と来ていたのでなおさらだが、僕は顔に、そして口に出してそういうことは、いわない、いえない、んが、くっくっ。(2002/11現在も、実家から送られてきたラーメンを食べて、実際に美味しかったのだが、おばあさんに「美味しかった」というのに苦しんだほど、素直ではない。どうでもいいっすね。) 今でもそのときのことを思い出すと鳥肌が立ったりする。そして「幸せの青い風」の盛り上がる部分の映像としては、遠くに噴水がちょうど吹き上がり、空は青く澄み渡り、はとが飛び、木々は真夏の太陽のエネルギーを、できるだけたくさん葉緑素で受け止めようと、青々としている。そして舞台の上ではmawari。その後にも渋谷のライブハウスのライブに行ったが、ここでのmawariさんが一番よかった気がする。あすこではもうやらないのかな。セカンドアルバルからの曲調は青空と似合わなくなっている気もするけど、是非またやってもらいたい。曲目だけど、僕が聞きたかった曲は二曲とも歌われなかった。なぜだ。一曲は歌われなくても分かるような気がする曲だけど、もうひとつは歌ってもらいたかったのに。
ちなみにmawariに興味のある方はご一報を。サイン入りポスター、ポスター、写真たてつきサイン入り写真を手に入れるために二枚目を買ったCDがございますので、いつか渡します。ちなみに今チラッと探しましたがみつかりません。
続く…かも。

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