mawariさん3 (2002/11/16)

2000年夏。僕は再びP`parucoにライブを聞きに向かった、極楽トンボの次男坊である。「夏には水分補給に気をつけましょう」とポカリスエットを呑みながらMCで笑いを取る。う、さすがに記憶に余り残っていない。路上に溢れるぐらいの観客がいて、ライブ終了後にはCD販売を行っていた。

2000年冬。僕はなぜか渋谷にいた。僕と渋谷はスイカとテンプラ、ガッツ石松とパソコン、梅干とうなぎ、がちゃぴんとスキューバダイビングぐらいに似合わないものだが致し方ない、今日はmawariのライブがあるのだから。というわけでエッグマンというライブハウスについたのだが今日は一人。ずらっと並ぶmawariファンに怖気づき時間が近づくまでNHKホール?とかを流し目で見つつ散歩をする。吉田戦車の「伝染るんです。」で、ヤクザがNHKの番組の変更に対して、「渋谷襲撃じゃ」といったのは、渋谷のNHKの建物を襲撃しに行くことなのだと知る。意外と早くチケットを取れたと思ったがじぇんじぇんそうではなく後ろのほうで爪先立ちでかばんを踏みながらライブを見る羽目になってしまった。ちなみに二回同じとここでライブがあった。両方行ってしまったが両方とも同じく後ろのほうで呆然と立ちすくむしかない。僕のうすら馬鹿なHDDの検索によるとどうも赤い服を着ての登場。こんばんはmawariです。といつもどおりの挨拶。今回が初の単独有料?ライブだそう。ドラムやコントラバス?バイオリン!?とかもでてきた。ライブは、うーん、歌っている途中にmawariと目があったような気がする、というお約束の勘違い、錯覚、ぼけをしたことが記憶に残る。うん、外でのライブもいいけどこういうのもいいな。新曲の秋茜もいい味を出していた。そして何より僕が好きで、前回の野外ライブで聴けなかった曲をタンバリンをたたきながら歌われたのを見れたのに感動した。帰りには秋茜のシングル(二枚目)を買いポスターをもらう。あーあ、ファンなんだなあ。二、三回もいくとさすがに見たことがある人がいるようになる。

2001年7月 新曲のライブがまたもピーダッシュパルコであった。このときはとっても切ない曲だなあと聞きながら思った。その後テレビでもやったので、もれなくビデオで録画する。録画をしたことがほとんどないので緊張した。しかし、去年の夏のような明るさはないっすねえ、と少し寂しくなる。横浜でも店頭ライブがあると知り横浜にもいった。会場近くにあるラーメン屋に入り、食べながらラーメン好きのmawariが来たりしないかなーと思ったりした。来るわけないっての。9月月新アルバム発売。

9月 タワーレコード店頭ライブがあり、新発売のmawariのCDを買うとサイン入りのポスターをもらえ、握手ができるというので買う。…手が果てしなく柔らかく感じて感動した。ぼくの精神年齢は中学生並みやね。

12月 僕は舞浜に向かった。当然そこにある東京ディズニーランドに行く、わけなくてイクスピアリであるmawariさんのライブに行く。早く行ってイクスピアリを見学して、どこが会場か確かめた後、余りの暇さのため(お金がないとどうにもならん)、献血をしてしまう。高校以来初めてだが、献血されている時に担当の人との話で、「何しにここにきてるのですか?(お前は英語の教科書か!?もちろんこのように聞かれたわけではない)」という質問をされたので「エーちょっとファンの歌手のライブがあるので」といったら、「追っかけ?」となぜか聞かれる。話を聞いてみるとどうやら献血の紙に書いてある情報では僕が島根県に住んでいると書いてあったためそう勘違いしたそうだ。実際多分に追っかけチックではありますが。んで、献血後のために、多少ふらふらしながらライブを見る。「いちごみるく」という曲を「♪写真になりた〜い」 ってな感じで、シングルで出た曲を、元の歌詞で歌ったりしていた。川本真琴のDVDでもそういうちゃんとしてない歌詞で歌っているデモテープバージョンを聞いたけれども、完成したときとかなり違う内容を歌っている。

その時はクリスマス前だったので最後にはクリスマスの曲を歌っていた。ため息。んでその後またCDを買ったらプレゼントと握手がある、と聞き、再びシングルのCDを買う。相変わらずなにも言えずに握手をするが、相変わらず柔らかいものであることよとの感想をいだき、貧血っぽくふらふらしながら家路につく。

その後2002/3/28活動休止 七月ぐらいまで知らんかった。

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