11/6 東京は相変わらずいい天気。ちょっと最近のことを箇条書き
今回島根に帰った時も湯の川温泉に行くことができなかったのが残念だった。
「セポンカワモト」という川本からのメールマガジンを読まずに消してしまった。
東京に帰ると、冷蔵庫の中の魚が腐っていたり、シチューが腐っていたり、枕がカビを生やしていたりした。
相変わらずおばあさんは元気だ。
友人の車の中で聞いた、松浦亜弥の「トロピカール愛してる」の「よいのかな」という表現にはまる。でも考えたのつんくなんだよなー。
6年前にはまったように、ビタミンCのポーリングの本をまた読む。やっぱいるのかなあ。
うちの中での名前の呼び間違えでは「修ぅー、いや辰弘ー」というのがその逆よりも多かった。気がする。
近所の人たちに挨拶をしていると、同じ家の人に、それぞれ別々に「自分のことを覚えているか否か?」ということを聞かれた。そういう家系なのだろうか。
マタタビドリンクは「飲む森林浴」(うろ)というキャッチフレーズで売っていたがそういう感じではない。
朝鮮人参はちょっとした効果があるきがする。
赤名は寒い。そこに半袖で出て行った僕はもっと寒い。加えて、着ていたのが2002ワールドカップのTシャツだった。誰も知らないマスコットが描かれていた。
山陰は曇りまたは雨が多すぎる。
11月3日前後の町主催の祭りが多すぎる。川本町の祭りに行きたかったけど行けなかった。まあそれが理由ではないけれども。
小学生道徳の教育テレビを見ていたら音楽の発表会にでの出来事についてあれこれやっていた。思い出してみれば、中学高校とすべての音楽祭で、学年の一位をとっていたような気がする。都合のよい記憶かもしれないが。
おじいさんの手はものすごく腫上っていた。箪笥にとってあった送った手紙が、おじいさんの娘達により軽く燃えるごみとして処理されていた。おばあさんに送った香水とともに。
葬式は悲しむという感情をおこさせないという点で非常に合理的なものだと感じた。
隣の地区の川本という苗字の、いつもジョギングをしていて各種大会に参加しているおじいさんに、お母さんは僕がまだ走っているかどうかについて聞かれるらしい。
風呂をたくのが島根に帰った時の最大の娯楽だが、いつも初日は焚きすぎてしまう。
東京の僕の部屋のほうが島根の家よりも数倍寒い。
人類がここまで進化したのはビタミンCを体の中で合成できなくなったのも要因になっているだろうなあ、という気持ちがやっぱなくならない。
18日 今月初のフィットネス。月五千円だけど、このペースで行けば、一回当たりの料金が1000円ぐらいになる。1000円ぐらいを運動してるぞって言う、精神的気休め代として計上しても、800円にも上る。運動後、最高血圧82、最低血圧60。スタジオで運動している人(女性しか目に入らないが)を見るのは目の保養によい。これだけでも来た甲斐があったってなもんです。終わった後の爽快感からして、もう少したくさんいってもいいかなと思った。はじめてランニングマシーンを使ったが、なんかヘンな感じだ。しかしかなり走るのが遅くなっているなあ。
ちょっとした気づきとして、人間の足がよく冷えやすいのは、歩かなくなったからではないかということを考えた。なぜなら走り終わった後、足がとても温かかったから。普通の動物なら、いつもたくさん歩いているから、それによって足の血流がよくなって、冷えることもないのではないか。それでその自然な運動量でちょうど体全体の血流が過不足なく流れるように体が設計されているとすると、やっぱあるかにゃならんのではないか。足は第二の心臓というのも、血を下半身から心臓に戻す働きがあるというところから来てんじゃなかろうか。歩かないから足に血液が滞っているんじゃあないかしらん。以上憶測ワールドでした。しーゆー。明日は献血でもしようっと。そういやあ昨日、二つの店でそれぞれ別の竹仲絵里の曲がBGMでかかってた。イエス。
19日 献血。血の巡りが悪いようだ。体脂肪が6,3%になってしまった。体重は増えてるから筋肉な何かでもついたのでしょうか?無性にスパゲティーが食べたくなったので昼と夜食べた。250グラムは多すぎる。昼は食い尽くしたけど、夜は半分しか食べることができなかった。もううんざり(うんこまみれのざりがに)。
12/8 島根に帰る。
12/14 僕誕生日のお祝いのために、四国や広島からも親戚がそろってやってきて、大東の料理屋さんで総勢26人ぐらいの宴会をした。総費用27万円。と見せかけて、この日はおじいさんの49日だったりする。
12/16 かもしれない日 部屋が狭くなっていたために、もっていた本を結局ダンボール5箱分売り払った。あぎゃんに売って1万8千円とはこれいかに。あとファミコンやブレステのソフトを売ったけれどもそれは合計で4千5百円にしかならんかった。デジカメがあり、オークションに出せばもっと高く売れたのであろう。特に藤原紀香写真集とか。キャッ!!
12/18日 友人と松江に旅行。やつの車はミッションなので僕は運転をすることができないので、ひたすら川本の曲をかけていた。松江での用事を済ました後は、中海干拓事業の視察に赴いたが、どこがどこかわからなくて、とぼとぼと帰った。生き返りでは買うべき中古車を横目で見ていた。何百万のを買おうかしらん。
12/20 最近はスサノヲ関連の神社めぐりをしていた。まず行ったところは、大東の須賀神社。ここは日本最初の和歌といわれるものが詠まれた場所であったり、日本最初の神社であったりする。スサノヲがこの場所に来た時にすがすがしいといったために須賀となったそう。ちなみにその歌は「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣つくる 其の八重垣を」という歌で、この歌から出雲という国名が付いた。
二番目に行ったのが八重垣神社。松江の少し南の方にある。おみくじは二種類売れていて、通にはたまらない。ここはスサノヲが奇稲田姫をヤマタノオロチから隠していたところだったような気がする。国宝だかの、日本最初の神様を書いた絵が展示してある建物がある。ついでに子宝に恵まれるように祈るところであろう物も祭られていたりする。
三番目は佐田町須佐神社。スサノヲを祭った神社の元締めだとか。建物は尼子晴久が建てたものらしい。ここらには七不思議があり、境内に其の中の一つの、塩の味のする水の出る井戸がある。大社の海とつながっているという話だけど、そういう成分の含まれているみずなのだろう。またものすごく大きい杉の木もあった。 この神社の周りには、温泉施設の「ゆかりの里」や、スサノヲについて展示してある「スサノオ館」、そばやうどん、佐田牛の味を楽しめるらしい「味処スサノオ」、間伐材で作られていて、佐田でつくられた物産を売っている「雲太の館」などがある。スサノオ館やゆかりの里の売店にスサノオの本があるのかと思いきやなかった。しかし、雲太の館ではにんにくの粕漬けや健康茶、甘酒などが売ってあり、即買った。というのもお茶をご馳走してもらったからである。ぼくはそういうことをされるとどうしても何かを買ってしまうんだなあ。佐田町はなかなかいいところであることよ、という感想をもった。
12/29 家にあるCDのケースを捨てて、CDだけを入れる入れ物にひたすら移し変えた。引っ越してからの廃棄したCDケースは100ぐらいっすかねえ。最近の頭の中のテーマ曲は亜麻色の髪の乙女。島谷ひとみってどんなひとだっけか?
12/30 今日は薪を割った。20日ぐらいに割ろうともんどりうちつつ割れなかった薪がなんとか割れた。成長したなとおもった。昨日一昨日と走りこみをしたのが効いたのかも知れない。
大晦日 今日は、ランニングキャッチボール薪割り風呂焚き川本温泉栄養学クラブの忘年会として、湯村温泉に視察旅行に行った。
ついでに薪割部としての割り納めも行った。来年はふっといやつも簡単に割れるように走りこみ、栄養摂取に励もうと思います。
ぼくは川本ファンであるといううそを、高校時代からつき続けるいるが、それに最近飽きてきたので、違う人のファンであるということを示すべくCDを買ってみようと思った。その結果買ったのが、台湾で売られている川本真琴DVDの、後のほうにくっついていたために知ることとなった、永井真理子のCDである。「愛こそすべて」や「ハートをWASH」の歌詞なんて最高っす。「愛こそすべて」では「愛こそみんなの仕事」「愛は地球の血液だから」等、「ハートをWASH」では「心を洗えば羽が生えてくる」」とかね。
あと人からコピーしたCDをもらった島谷ひとみ。最近は頭の中が亜麻色の髪の乙女なもんで。CDを買おうと思って中古を探したけどなくって買うのはやめたけど。
も一つおまけに松浦亜弥。トロピカーナ恋してるの「良(よ」いのかな」と言うフレーズに魅かれて。つんくおそるべし。そろそろぼくも安室波平をすきになってもよさそうだけどまだかいな。
来年もよろしゅうに。