私の頭の中の口裏合わせinクリスマス

―クリスマスプレゼントとして僕がして欲しいこと―

 

「百歳まで生きないと」

と僕が祖母に言ったのは小学の中学年の頃だったでしょうか。祖母が「(僕の)中学、高校、大学への進学、そして車の免許とったり、就職、結婚、子供の誕生、というイベントのどこまで見れるのかな、高校入学までは見たいけどね、結婚までは無理かな」みたいなことを言われたので「車に乗せて広島の親戚の家に行ったり、結婚したらお嫁さん見せるから、百歳まで生きないと」、と。

その後15年くらいたった後でも「おもっとっても、実際にそういってくれるもんはおらんけんのぉ〜(急に方言に)」とかと、僕がそういう発言をしたことを覚えていたりして。で、上記のイベントのうち、車の免許をとって広島の親戚の家まで行く、というやつまでは達成したわけ(2005/12/12朝現在)。89にもなってやっとね。

話は脱線するけど、おじいさんにはことあるごとに「お前は子供の時ホントにオムツを汚さなかった、賢かったんだな、今はバカだけど」みたいなことを言われ続けました。「おむつかえてやったりしたからわしのおむつもかえてもらわんとのぉ〜」というのも年を重ねられてからは付け足されるようになりました。実際に亡くなられる2ヶ月前くらいにホンの短い間だったけど、家の縁側から木次線のトロッコ列車が走るのを見ながら尿瓶で尿を取ったりしたことで少しだけ報いることができたかな、って。ホンの少しなんだけど。まだまだ恩に気づいていないことは多いけど、今年の命日には初めて仏壇に供えるための花束を購入したりしました。そんなんバカバカしいって鼻で笑う人間だったのにね。

あとついでにもう一言。おじいさんは毎朝仏壇に向かって般若心経を、本を見ずに唱えていました。僕が高校生くらいの時に(おじいさんが毎日唱えている般若心経を老化のため、暗唱できなくなったら悲しいだろうな)って思ったことがありましたが、それから数年間、県外に出ていた僕が実家に帰ってきた時にはちょっとつっかえつっかえしながらも暗唱してましたが、気が付くとそれをしなくなっていた時には、なんというか喪失感?みたいなものを感じましたね。

で、与太話なんで、本論もなにも無い気がしますが、本論に戻りますと、上記イベントのうち、何気に20051213日の時点で就職までいけたので、次は結婚ということになります。そこでアネ様には24日、食の杜でのクリスマスディナーの前に家によっていただいて、祖母に会っていただき、さすがにいきなり「この人と結婚します」は無いでしょうから、「僕の彼女です」という話をしてみようかと(笑)喜ばせられるなり、あっけにとられるなり、それは「嘘だろ」って笑わせられるなりすれば楽しいな、っと。アネ様が家に来ていただくことによっての祖母の反応が、僕へのクリスマスプレゼント。